目次----
第一章 東京裁判に呪縛されていた「司馬史観」の軌跡
「両刃の剣」であった「司馬史観」
そもそも戦争を裁く国際的な法源はなかった
東京裁判はどれほど茶番だったのか
「戦前は暗黒時代」と日本人に刷り込む
司馬氏のノモンハン事件の解釈が問題点
ノモンハン事件の勝敗が変わった
権威を否定して行き着くところは
司馬氏も逃れられなかった「ソ連神話」
第二章 司馬遼太郎氏の作品にみる「司馬史観」の誕生と形成
読み返して改めて司馬氏の作品に感動
司馬氏の歴史小説の三つの手法
幕末のストーリーに昭和史を挟み込む
結果を前提とした歴史認識の傾向がある
なぜ『坂の上の雲』のあとに『翔ぶが如く』を
司馬氏が繰り返し述べる呪詛のようなつぶやき
立国の基本、日本の美風が失われると
「合理主義的歴史観」では滅びの美学はわからない
私学校党に昭和の軍閥を投影する
善玉と悪玉のフィクションに過ぎない
昭和史の偏見や呪縛から解放されるために
好き嫌いの両極端にふれる人物描写
思い込みの強さがソ連神話にもつながった
第三章 東京裁判が今もなお醸成する「閉ざされた言語空間」
私自身が経験した、ある異常な事件
従軍慰安婦問題の問題点から始めよう
声高に言い立てる人が真実を語るとは限らない
問題の核心が反日運動などにすりかえられている
詐欺とペテンが通ってしまう日本社会の空気
論理のすりかえで延命を図る風潮
「君は権力的だ」という言葉の魔術
「思考のトリックと論理の錯覚」に陥るな
自主規制こそ一番悪しき言論のファシズム
日本を震源とする亡霊が外交カードに
お互いに不幸になる意識のギャップ
まずは日本人のモラルやエートス
近代化と経済発展のエートスとは
第四章 東京裁判史観とは正反対。戦前のアジア情勢と国際世論
白人の視点から見た戦前の日本像
「日本軍の足跡をたどって・・・・・・日本軍部隊がシナ大陸で与えた損害は、敗走するシナ軍によるものより僅か」
「日本、戦争の中でその東洋的平静さを堅持」
「私の見た満州国、この国の驚くべき発展」
「日本の立場」
日本の立場を理解させる努力を
第5章 司馬遼太郎氏の作品に映し出される「戦後精神」
自虐史観や東京裁判史観には批判的でも「司馬史観」には甘い
司馬氏がノモンハン事件を小説にしたら悪役は服部・辻の両参謀
『スターリングラード』という映画を見るとノモンハンでのソ連軍がわかる
平和主義が戦争を起こしたという歴史の皮肉な教訓
小説のフィクションが史実だと勘違いされる恐ろしさ
締め括りにかえて
今の日本のアノミーをもたらしたものが何であったのか、理解していただけただろうか
後記として
著者の福井雄三は1953年鳥取県倉吉市生まれ。
東京大学法学部を卒業後、企業勤務を経て、1992年より大阪青山短期大学助教授。
専攻は国際政治学、日本近現代史。
この本はパル氏の次の言葉から始まる。
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時が熱狂と偏見を和らげたあかつきには、
理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取ったあかつきには、
その時こそ、
正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを
要求するであろう
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第一章
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司馬史観においては、旅順攻防戦とノモンハン事件は好対照をなして屹立する両巨峰である。司馬氏の思考回路の中でこの両事例は、決して別個の事件ではない。車の両輪の如くにからまり合い、相互に関連し合っている、表裏一体のテーマとしてとらえられているはずだ。
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第二章
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『伊地知、日本は旅順だけで戦っているのではない。そんなことがわからんのか』
『閣下の責任を問うているのです』
『お前は女か』
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砲弾不足を訴える伊地知と児玉の会話(上)を引用した後で、『坂の上の雲』のいわば悪玉コンビとでも呼べそうな、乃木と伊地知は、司馬作品に頻出するひとつのパターンだと福井は指摘する。
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『坂の上の雲』の乃木希典と伊地知幸介が、『翔ぶが如く』の西郷隆盛と桐野利秋のイメージに重なり合うことに、読者諸氏は気づかれたであろう。この「乃木的」なものと「伊地知的」なものに象徴される人物像のコンビは、司馬氏のあらゆる作品に姿を変え形を変えて現れ続ける。司馬氏の構想ではそれが最終的に、ノモンハン事件の服部卓四郎と辻政信のコンビとして描かれるはずであった。
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第三章では慰安婦に関する思考の前提事項が述べられる。
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第一に、慰安婦は当時の職業の一つであった。
第二に、慰安婦は当時合法であって違法ではない。
第三に、戦地に、慰安婦という娼婦はいたが、「従軍」慰安婦という娼婦はいなかった。
第四に、強制連行は無かった。悲しい話だが、希望者がたくさんいる娼婦を強制連行する理由がないではないか。簡単にいうと、戦地で日本の兵隊を相手に商売した娼婦や慰安婦はいたが、従軍した娼婦や慰安婦などいない。まして日本軍が何の必要があって、娼婦や慰安婦を強制連行しなければならないのか。だから、当然ながら、強制連行の事実はまったくない。
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もし、慰安婦強制連行の廉で「日本を告発するのであれば、提訴する側に立証責任があ」り、「命令したのはどこの役所のどの部署」なのか、「担当した責任者の名は誰」なのか、「命令を伝える公文書はどこに保管されているの」か、「強制連行したという輸送手段、日付、人数」を提示しなければならない。
以下、この本で紹介されている本。
小田洋太郎『ノモンハン事件の真相と戦果』(有朋書院)
「この書は、ノモンハン事件の戦闘で日本軍がソ連軍を撃破した記録が満載・網羅されている、近年屈指の好著である。当時の膨大な史料や記録、あるいは戦闘に参加した兵士の手記などを、戦闘経過の日付に沿いながら丹念に集め、各日付ごとの記録として、時系列的に集大成された小田氏の努力には、頭が下がる思いである。この著書は今後、ノモンハン事件を再検証する上で、不可欠の史料となるであろう」
別宮暖朗『旅順攻防戦』(並木書房)
「私はこの本を一読して、その正確な軍事知識と歴史認識と緻密な論理構成に驚嘆した。(中略)旅順攻防戦に関して私が到達したのと同様の見解を抱いていた人が、他にもいたことを知って、大いに勇気づけられたものである。
別宮氏は第一次世界大戦の戦史研究に造詣が深く、その軍事知識は微にいり細にわたって詳細を究めている。軍学者兵頭二十八氏との対談をふまえ、膨大にしてかつ詳細な軍事知識と、正確な歴史認識に裏打ちされた氏の日露戦争研究は、今後ともこの分野を研究する者にとって最良の指針となるであろう」(第二章)
シェンキビッチ(Henryk Adam Aleksander Pius Sienkiewicz)『クオ・バディス(Quo Vadis)』
この本は滅びの美学を表現している文学作品の一つとして紹介されている。
「ローマ皇帝ネロの時代のキリスト教迫害をテーマにした、壮大なストーリーである」
「(ペトロニウスは)政敵チゲリヌスとの権力闘争に敗れた後、最後は愛する女奴隷のエウニケとともに従容として自殺して果てるのであるが、このペトロニウスは実に魅力的な人物である」(第二章)
カール・カワカミ(Kiyoshi Karl Kawakami)『シナ大陸の真相(Japan in China, Her Motives and Aims)』(展転社)
「あの当時のあの状況の中で、欧米の側から発せられた本格的な日本弁護論という点において、この本は後世の歴史家による後知恵や粉飾とは無縁の、まさにリアルタイムの歴史的価値を持つ本である」(第五章)
河上清(カール・カワカミ)は、米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)卒業後、万朝報記者となり社会主義とキリスト教に関心を抱き、足尾銅山鉱毒事件などの追及を行った。1901年社会民主党の結成に加わるが、同党が禁止されると、身の危険を感じて渡米。大学で学びながらジャーナリストとしての活動も再開。キヨシ・カール・カワカミ(K.K.カワカミ)の筆名を用いる。(Wikipedia)
クリストファー・ソーン(Christopher G. Thorne)『米英にとっての太平洋戦争(Allies of a Kind: the United States, Britain, and the War against Japan, 1941-1945)』(草思社)
「戦勝国イギリスの学者でありながら、勝者と敗者の立場を越えて、太平洋戦争という歴史的事象をリアルポリティーク、バランスパワーの視点から、冷徹に分析した、この本の著者の知的強靭さには脱帽せざるを得ない」(第五章)