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答案用紙を走るボールペンが一瞬止まった。ぽたぽたと汗玉が古びた机の木目に落ち、潤って、瞬く間に消えていった。突然、頭のてっぺんから、グラスの底のような厚いメガネのレンズを突き通して自分を見つめる父の視線を感じ、ボールペンがまた走り出した。一九八八年七月、一年で最も暑い三日間に中国の大学統一試験が行われた。大学受験制度が回復されて十年余り、十人に一人という大学の狭き門に駆け込もうとして、ボールペンを止めて汗を拭く暇さえ惜しむ。
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文学界二〇〇八年六月号に掲載された楊逸(ヤン・イー)の「時が滲む朝」。
第138回芥川賞候補作だ。
楊逸は、1964年ハルピン市生まれ。23歳のとき日本へ留学し、そのまま日本で就職した。
つまり楊は中国人だ。日本語(外国語)で文学を書くなど並大抵の覚悟では為し得ないと思うが、それだけに、我々日本人の興味の的となるのは、楊が満足な日本語を書けるのかどうか、文学と呼べるレベルの日本語を書けているかどうか、だろう。
引用した冒頭部で使われている日本語中、特に違和感を感じるのは、「汗玉」ぐらいか。
論理的に変ではないか?と思うのは、「ボールペンが一瞬止まった」後に「ボールペンを止めて汗を拭く暇さえ惜しむ」と書いている点だろう。たしかに汗は拭いていないがボールペンは止めているのだから、前段の「ボールペンを止めて」は削った方がよいと思う。
ストーリーについては、全体的に古臭さが目立つ。
主人公の梁浩遠は尾崎豊の「I love you」が好きらしく、たしかに世代的にそうなのかも知れないが、僕を含め日本の読者は尾崎豊と聞けば古臭いとしか感じないだろう。なぜ今、尾崎なのか。
偶然にも7/7、日本テレビの『Music Lovers』で、「今」を感じる青山テルマが尾崎の"I love you"を歌った。それでもやはり古臭い。
主人公とその妻との間に生まれた長男の名前が「民生(たみお)」ってのも頂けない。
いくら孫文の三民主義からとった名前だと言われても、日本の読者が連想するのは、どうしたって奥田「民生」でしかない。
また、タイトルの「時が滲む朝」とは何のことを指しているのかよくわからない。
この作を読む限り、この著者が今回、芥川賞を受賞することはないと思った。